時間をはずした日

本日25日は「マヤ歴」でいうところの「時間をはずした日」です。

 

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13の月の暦で7月25日は「The Day out of Time」時間をはずした日
プラスワンの日、銀河の自由な日などと呼ばれ、それまでの13ヶ月の枠から放たれた時間からの開放を体験する日とされています。

  

  
何故「時間をはずした日」なのかと言いますと、マヤ暦では私たちの使っている太陰暦と同じ1年が365日の暦を使っているのですが閏日の数え方だけが異なっていて毎年1年の最後の日である7月25日だけは「暦に属さない日」と定めて

  

  

364日+1日=365日

  

つまり、マヤ暦では7月26日が新年の始まりの元旦に相当し、その前の25日は新しい年への準備期間と位置付けられます。

  
この7月25日だけは「何でもない日」としてマヤのカレンダーからはずされています。この日だけは時間の流れから解放された「時間の止まった日」となるわけです。

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(抜粋、引用)

 

 

奇しくも本日25日はプロ科生によるスタジオライブ。残念ながら私は観にいけませんでしたが、今日は「時間からの解放された日」いつもにまして充実したライブとなったかと思います。

  

 

今日は自由を阻むすべての概念からの解放。夢がかないますように。

  

となりのトトロ

となりのトトロ

となりのトトロ

 

  

  

中日新聞・・・・・・!!

 

 

寝落ち

23日の金曜日は「大暑」。一年で最も暑い日。とはいえ、8/7には(暦の上では)立秋となってしまいますので、夏を満喫するなら今のうちでせう。

夜勤明けということもあり朝から晩まで寝ておりました。TurnやTAPの時間になっても頭は朦朧とし、「トトロ」も観たのか観てないのかわけのわからない状態でした。

寝落ちつながりでもうひとつ。水曜日は超がつくほど久々に飲み会に参加しておりました。気のおけない仲間との懇親会、実に楽しかった・・・・・・・というか、たまにはこれくらいのことがないとやってられませンわ~(笑)。とはいえ、梅酒ロック2杯とサワー2杯でそこそこ酔ってしまい、「自転車どこにおいたっけ?」という始末。帰宅するなり弟の部屋で寝落ち。気がつけば自分の部屋にという有様。

というわけで、暑い夏をクーラーの中で寝てすごす極楽を味わっております。

さて、テレビでは熱射病のことが昨年にもまして取り上げられておりますね。一歩間違えば命にも関わる症状です。注意するに越したことはありません。が、あれは別にわけのわからん伝染病でも降って沸くような災害でもなし。要するに、自分の体の状態を把握していない、あるいは油断からきているのではないかと思うのですよ。汗をかくから水分を補う、日差しをまともに浴びると暑くなるので日差しを避けるといった当たり前の反応。温度、日射といった外部環境と自分の身体の折り合いの付け方が大事なのではないかと感じるのですが、それで片付けてしまうのは少々短絡でしたかね。

  

 

日本人の精神論の悪い面かもしれません。物質的な(適切な)「補給」を甘く見る、あるいは我慢の足らないこととする考えがまだまだ根強いのかもしれませんが、単純にそう言い切れないところがすごく難しいところだとは思います。

しかし、腹が減ったからといって誰憚ることなく公共の場でガツガツ飲み食いしたり、TPOをわきまえない行為は問題外ですが。

オロシヤの列車墓場

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モスクワ郊外には、「列車の墓場(TrainCemetery)」と呼ばれる場所があるそうです。使えるパーツを全部取り除かれた列車が、錆びて、朽ち果てて土に還るのをただ待つ場所なのです。

  

廃墟好きな人にはたまらないかと。

  

http://englishrussia.com/index.php/2010/06/28/train-cemetery/#more-14642

 

  

あなたも魔法使い♪

今日は今年初めてセミの声を聞きました。23日の大暑に向けて、まさに上り坂の夏真っ盛りですね。世の中は連休ですが、祇園祭の人混みを見ていると死にそうになります。

  

  

 

来週にはまだ「トトロ」がある・・・・だと・・・?
いやもうここまで書いたら書かないわけにも。

  

 

この3週目の「ハウルの動く城」。なにはともあれ「ただしイケメンに限る」という言葉がピッタリとしかいいようがありませんな(笑)。

  

さて、「ハウル」ですがその特徴は「説明省略」に尽きます。細かいことは一切無視して物語が進んでいきます。観る人のボキャブラリーや許容力に一切を預けている、とのことです。何度も観る人はかなり何度も観るようですし、原作と合わせて読むとかなり面白いらしいです。

  

 

 

省略された事柄のひとつとしてよく知られているのは「ソフィーは無意識だが魔法が使える」ということ。その一例として、生命を吹き込む魔法が使えます。案山子のカブ、ハウル、カルシファーーetc・・・詳しいことは省略します(笑)。

また、彼女は荒地の魔女に呪いをかけられて老婆になってしまいますが、あくまでも呪いはきっかけに過ぎず、いうなれば自己暗示のようなものです。その証拠に、彼女の気持ちや言動によって劇中でもその容姿がビミョウに変化していることにお気づきかと思います。ソフィー自身、強いコンプレックスや抑圧をかかえており、自分自身に否定的な暗示(彼女の言動)をかけて本来の良さを損なっており、それが魔女の呪いによっていっそう顕現したというわけです。
魔法が使えるということをあえて伏せたのは、魔法使いの女の子の物語ではなく、誰にでも大なり小なり抱えている問題として観ることができるようにしたかったのではないかと。反面、物事を変えるには自分の意志次第でもあるということでしょう。

  

意志の表明としての言葉とその力も無視することができない要素です。言葉は意志であり、力である、と監督も述べています。(このあたりは「千と千尋の・・・」ではより分かりやすく表現されています)

  

 

そのような力を持つ女性だからこそ、浮気性のハウルが惹かれたのも無理からぬことです。ハウルには(契約により)心臓=心がありません。その失ったものをもたらしてくれるかもしれないからです。だからこそ荒地の魔女が呪いをかけて老婆にしたのでしょうが。

  

  

 

王に召集をかけられているように、ハウルは強力な戦争兵器としての側面も持っていますが、それはまた次の機会にでも。

  

荒地の魔女がマツコ・○ラックスに見えて仕方がありません(笑)。

iphone4拝見

おそまきながら、もらい物のクリスピードーナツを頬張りつつ書いております。うむ、これを食べたらミスタードー○ツは・・・・・・。何故か? ミ○ドは昔に比べると味が著しく落ちたように思います。というのも、オールドファッション、シナモン等のシンプル系が激減し、小手先ばかりに走る虚飾ドーナツが多くなりましたしね。

 

さて、金曜はますます難しさを感じてきたTAP6回目。
鳴らそうと思うと力み、動きについていこうとするとただのステップになる。
うーむ。
TAPはそのスタイルから、他に比べると成功体験や感覚が得られにくい(分かりにくい)のではないか?と。逆に言えば、「出来たつもり」の状態になりにくいと思います。

  

 

久々の初級バレエにて、Toshimi先生ご愛用の、噂の「iphone4」を拝見させていただきました。手に持ちやすい!! 画面が奇麗!! 
ライトセーバーアプリで遊ぶには最適な持ちやすさ。もちろん通話の際にも手元に不安を感じないでしょう。画面もはるかに解像度が増しておりました。おそらくこのフォルムの方が自転車やクルマその他にマウントさせる際により安定すると思います。デザイン的にも携行性が向上しているのではないかと。そういう意味でも、良いものです。

で、初級バレエの方はさすがにブランクが如実にとしかいいようがなく(笑)。この調子ではJAZZに行ったらどえらいことになりそうですが、それでもたまにはJAZZのレッスンに参加したいですね。  

  

デウス・エクス・マキナ

はっと起きたら、19時過ぎ。ちょっと喉が痛い。舌の先もヒリヒリする。軽い風邪の前兆もあるので金曜のTAPはお休みいたしました。

  

ジブリの「耳すま」も途中からですが観ました。天沢、ホントに図書館で借りた本を読んだんだろうな?名前を記入したかったんだけとチガウか?(笑)
天沢の祖父・西司郎を観ていると、森鴎外の「舞姫」を思い出します。たぶん、関係はないでしょうが。

  

 

  

※以下、ちと長いのでご注意。内容も偏り気味です(笑)。

  

 

それよりも気になることが・・・・・・・。
あれです、来年の「ドラえもん」の映画です。ちなみに私は「ドラえもん」が大好きです。藤子不二夫(AもFも)作品が大好きです。

  

 

ファンの方には申し訳ないのですが、単刀直入に言ってしまいますと、私は今の新作の「ドラえもん」が好きではありません。映画もリメイクされるたびに原作が蹂躙されてしまう思いです。とりわけ「海底鬼岩城」「魔界大冒険」に並び称される、ドラ映画史上でも屈指の名作「ドラえもん のび太と鉄人兵団」がリメイクされると聞いては、もう・・・・・・・。

過去にしがみついていると言われればそれまでですが、私にはドタバタ化、ギャグ化、棒読みタレント枠、わざとらしい「友情パワー」、モロ見えのスポンサーの意向etcが許容できません・・・・・・・・などと大上段で言ってしまうと、私が年をとってアタマが固くなった言い訳みたいになってしまいますけどね。

  

ただ、この「鉄人兵団」に関しては、小中学生時代は好きではありませんでした。子供ながらに作品のアクの強さを感じ、辟易し、面白みを感じていませんでした。リルルも異様でしたしね(笑)。10数年かけて、この作品の面白さが分かってきたと思います。年齢の変化によってその感じ方が変わってきた作品なのです。  

作品としては藤子・F・不二夫の持つ独特の「暗さ」が少しだけ見え隠れしていることも特徴でしょう。 

そのひとつとして、リルルという少女型ロボットが出てくるのですが、敵の斥候兵(スパイ)なのです。自国と他国、機械と人間、任務と友情etc・・・・そういった二律背反、二項対立、そしてスパイ&アンドロイド(人間の形をしている機械)という「境界性」(どっちつかずの狭間の存在)を与えることで、人間ドラマとして縦軸の深みを与え、人類側である静香ちゃんとの交流が横軸を広げていますね。とうぜんリルルもさまざまな状況の中で苦しんでいるわけですが、静香ちゃんも「アンタなんか壊れてしまえばいいんだわッ!」や「時々理屈に合わない事をするのが人間なのよ」という台詞に、静香ちゃんなりの葛藤を経た自分自身への回答があるように思います。はたしてあのラストシーンを今の声優で演じることができるのか・・・。

 

また、もうひとつの特徴として挙げられるのは映画史上最強の敵であることとともに、現実の「戦争」的な描写がなされていることです。ボスらしきロボット隊長が出てきますが、特に深い描写はありません。あくまでも隊長は無個性な侵略の尖兵に過ぎないということです。本当の敵は「メカトピア国」(別の惑星)です。ただし、こちらも明確な描写はありません。歴史やその侵略目的がリルルの口から語られますが、それは一兵として任務の背景を語っているだけに過ぎません。「国」や「文化」という、特定の誰かでない敵が、一方的、確実に、圧倒的な物量(武力)をもって侵略してくるのです。「個性」であり「特異な能力」でもある秘密道具も味方の巨大ロボットも無個性の物量の前には沈黙させられてしまいます。現実の戦力の決定的差にはならないのです。

 

原作者をして「解決にはタイムマシンを使うという安易なアイデアしか思いつかなかった」と。つまり「過去を作り変えることで物事を解決する」ということです。

  

http://www.woopie.jp/video/watch/67538256d936ed03
(半ばから作者の言葉が出てきます)

まさに「デウスエクスマキナ」(Deus ex machina)。
 

  

※演出技法のひとつで、ラテン語で「機械仕掛けの神」または「機械仕掛けで出てくる神」。古代ギリシア演劇において内容が解決困難に陥った場合、いきなり絶対的な力を持つ存在を出すことで混乱した状況に解決をもたらし収束させる技法。古代から批判があり、アリストテレスも著書の中で批判している。

 

ご都合主義ともいえるイージーな解決方法でしたが、最後のシーンの演出は間違いなくドラ映画史上最高だと思います。静香とリルルが過去に戻ってからの、リルル消滅→天使(を思わせる描写)になった展開は舌を巻き、息を呑むほかありません。

 「リルル!!」
「静香さん、うまくいったみたいね。良かった……。
 今度生まれ変わったら……天使のようなロボットに──」
「リルル、あなたは今、天使になってるわ」
「うれしい……涙なんか流すロボットなんて、変よね?」
「二人は、ずっと友達よ」
「おともだち……」
「リルルー!!」

役目を終え、握手を交わした瞬間に余韻を許さず一瞬で消えるリルル。静香ちゃんの号泣と兵団消滅による開放の喜びにひたるドラたちの対比がいっそう悲劇性を高めます。それだけでは悲劇性が勝ちすぎるところに、「リルルは天使になったんだ」と希望を漂わせるエピローグ。「鉄人兵団」は、このラストにあるといってもいいんじゃないでしょうか。これをあれこれ改編してしまっては、何の為のリメイクだか理解できません。原作者ですら、そのラストには苦慮したのですから。

苦慮といえば、昨今のドラえもんにはのび太たちの苦慮や苦心、苦労は見えなくなりました。苦難に陥るとたいていは「どうするどうする?!」とオロオロします。その中で解決策を導き出し、乗り越え、何かを手にしていく過程がありません。
秘密道具はあくまでも道具に過ぎず、使い手に委ねられます。解決に導くのはドラえもんの諦めない心であり、ジャイアンの義侠心、思いやりであり、のび太の勇気であるわけです。ドラえもんと未来の秘密道具は決して「デウス・エクス・マキナ」ではないのです。

  

 

  

 

おおまかなストーリーはこちらを参考に。

http://abysssky.blog28.fc2.com/blog-entry-8.html

 

少々熱くなりましたが、ひとまずここまでに。
  

今回のマスコットキャラにはザンダクロス(ジュド)のコンピューターが選ばれているようですが、あれ、旧作では最高に口と性格が悪いって知っててやってのかな・・・?

かんながらのみち

「神ながらの道」。それは、多くの名もなき日本人によって育まれ受け継がれてきた道。

  

 

  

先日、「古神道講座(茶話会)」なるものに参加してきました。こう書くとずいぶんと堅苦しい印象を受けますが、そんなコトはぜんぜんありませんでした。そもそも、「古神道」というは宗教ですらないのですから(と知りました)。古神道というのは造語で、明治維新以降に成立した儀礼特化の「神社神道」に対して、本来の在り方・本質(霊性)を表現した言葉だそうです。

 

 

先述したようにそもそも宗教ではないので、とうぜん教義も教祖も戒律もない。仏教みたいに救済の概念もない。感性の世界から生まれた「自然ながらの道」「生命の道」であり、祈り合い称え合う和合の道・・・・のようですね。

 

面白かったのが、西洋・基督教との比較です。
西洋                   古神道
神様は完璧・一人で世界を作る    不完全 そもそも自然発生的存在
唯一絶対                 一人では意外と何もできない
人間を作った創造主           創造主ではない
人間は不完全な「創造物」        人間は自然発生的。
戒律⇔帰依の契約関係         相対的               
人は不完全ゆえに罪           自然発生なので罪などない
↑いわゆる「原罪」 救いを求める    罪という、その概念がない
善悪の二項対立              調和⇔不調和の循環 プラマイゼロ

  

東西の文化的な背景のチガイを理解する一助になります。

 

日本で言う「罪」とは調和を妨げるもので、それが「罪」であり「穢れ」であるといいます。たとえば、調和がとれて「美しい状態」が不調和の「美しくない状態」になれば、それを元の戻すための作業を「祓い」「禊」というわけです。西洋の、悪をやっつける・退治するという意味ではないようです。また、「美しい状態」に気付くためには「美しくない状態」が必要であり、その相互関係を認めているわけです。「争い」を水に流すことで「浄化」とするように、「ゆるしの文化」なのでしょう。

  

  

 

あっという間の前半2時間の講義が終わった後は休憩を挟んで「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」という儀礼が始まります。これにも参加してきました。
大祓(おおはらえ)の儀式は日本の古代から行われ続けている、意味と力のある神事です。古来、一年の丁度半ば、六月の晦日に、
¨大祓祭¨が行われてきました。上半期下半期の節目となる日に、
見直し、聞き直し、宣り直しの祓い浄めを行うとともに、私たちの日々の在り様を振り返るのが 「夏越の大祓祭」です。・・・・だそうです。

主催者曰く、普通の神社ではなかなかここまでやらないですよ、と。
でも、私、普通の神社の大祓に参加したことないんで比較のしようがないんだがなぁ・・・・・・と思いつつ参加しましたが、いざ始まればなんか心地よかったです。なにより、先生の所作、すッごくカッコよかったですよ(笑)。 祝詞も始めてまともに詠唱しました。先生は、とりあえず大きな声を出して右脳で音韻を感じてください、と。そう言ってくれるものの予想外にムズカシイ!リズムは取れないし声も響かない。

  

  

言霊(ことだま)なんかも少し教えてもらいました。右は「水極(みぎ)」、左は「火足(ひだり)」。右は肉体、左は霊性、だそう。

天晴れて、うれしたのしで いやさか やーさか・・・。

 

ちなみに八阪神社の「やさか」は「いやさか」であり「弥栄」から来ているとのことです。めでたい・よろこびの意味です。

  

  

 

下半期もがんばれそうです(笑)

飛ばねぇ豚はただの豚だ


見えない明日をむやみにさがして
だれもが希望をたくした
ゆれていた時代の熱い風にふかれて 
体中で瞬間(とき)を感じた そうだね

  

 

「時には昔の話を」より
紅の豚主題歌 加藤登紀子   

 

  

 

TAP 5回目。
今日は珍しくもメンズばかり。レッスンで男率100%は前代未聞である(笑)。

  

足首の使い方というか意識というか、そんなところが問題かもしれません。連続で速く鳴らすとだんだんと力が入らなくなり足が藁になっていく・・・・。重心の乗り方もあるんでしょうが、そこまで気が回りません(泣)。

  

多少は慣れてきた実感がございます。  

 

  

  

さて、本日は「紅の豚」。TAPのレッスンから帰って早々観ておりました。これまた何回観たかわかりませんが、味わい深いです。

主人公の名前「ポルコ・ロッソ」とは「赤い豚」という意味で、イタリアでは罵倒の言葉だそうです。「豚に国も法律もねぇよ」と、本人は気に入っているようですね。かつては空軍のエースだった男が、戦争によって得た名誉を嫌って軍を去り、自らに魔法をかけて豚として生きる事を選んでいくわけです。ちなみに本名はマルコ・パボット。

 

  

港町で給油中の遣り取り。

「さらばアドリア海の自由と放埓の日々よ・・ってわけだ」
「それ、バイロンかい?」
「いやぁ、俺だ。」

こんなやりとりをしてみたいもんですねぇ。
「バイロン」の突っ込み待ちというハイレベルですが(笑)、「いやぁ、俺だ」の言い方を練習しておきましょうかwww

 

人生に泣かずに生きる。
ジブリにはやや異色の、そんなオトナな映画です。 

  

そして、ジブリ屈指の名曲。これは昔だったら絶対分からなかった・・・。
これが分かれば成人式だ・・・なんてな。
ジーナというよりは、加藤登紀子だからこその歌でもあるかもしれません。

 

  
  

あの日の すべてがむなしいものだと それは誰にも云えない
今でも 同じように 見果てぬ夢を描いて 走り続けているよね どこかで

技と心

6月最後の日曜日、第16回古武道大会(主催:円心流居合据物剣法 後援;大阪市)を観るために阿倍野スポーツセンターまで行ってきました。昨年も同じ頃に観にいってます。

http://amemura.fwds.org/2009/06/28/98/

  

 

一番のお目当ては「筑後柳河立花藩御禁止流楊心流薙刀術」(ちくごやながわたちばなはんおとめりゅうようしんりゅうなぎなたじゅつ)。昨年の日記にも書いていますので詳細は省きます。戦国期を経て、江戸期になり城に仕える御殿女中の護衛武術となった古流武術です。御禁止流(おとめりゅう)とは他藩に技を伝えるのを禁じるという意味です。

最大の特徴は振袖着物姿に襷がけで演武することです。いついかなる攻撃を受けても即座に対処する心がけを忘れないためだそう。これがまたものすごく華やかなんですよ。観る者を魅了します。内容にも甘さはなく、かなりキビキビとした動き。そして型演武とはいえ失敗すると攻め手がやられてしまいます。

楽しみにしていましたが、私が着いた頃には終わってました。残念!!

  

 

昨年度はやっていなかった「甲冑抜刀術」というの見ましたが、そもそも甲冑というバカ重いものを装備した状態で動く・敵と戦うことを前提にした理論なので、まったく想像がつきません。想像のつかない動きというか、なぜこう動くのか、その因果関係がさっぱりわからないです。とりあえず転倒してしまうと終り、それだけはわかりました。

  

宝蔵院流高田派

宝蔵院流高田派

「バガボンド(@井上雄彦)」を読んでいる人にはご存知かもしれませんが「宝蔵院流槍術高田派」。作中のような派手さはありませんが、2階席まで届きそうな長い槍を見事に操ってました。  

  

  

 

直心影流薙刀術

直心影流薙刀術

トリを務めたのは「直心影流薙刀術」。先述の楊心流に比べると派手さはなく、黒でビシっときめたおば様方が出てこられました。宗家と思しき人はけっこうなおじいちゃんです。どんなもんかなと思っていましたが、ひとたび演武が始まると会場の空気が引き締まり、見た目・動きに派手さこそありませんが観客の視線がフロアに集中しているのがわかります。

 

演武というのはある意味、「発表会」みたいなもので、いかに技前やその内容のレベルを見せるかという前提があります。素人には驚嘆や感動を与えて興味をもってもらい、経験者にはその技術力や奥深さを感心させることが大事です。反面、見せてはいけない事柄(奥義や秘伝となる動き、コツ)もあるので、そのあたりの折衷が難しいところだと思います。かといって、あまりにも見せることを考えない演武というのも非常にツマラナイもので、皆の前で型どおりの型を延々とやればイイというものではないと私は思います。流儀の名前は書きませんが昨年とまったく変わらない内容で何の変化もなく、あくびが出そうになったことも・・・。

 

 

日本の、「技と心」をたっぷりと見てきた一日でございました。