今日は今年初めてセミの声を聞きました。23日の大暑に向けて、まさに上り坂の夏真っ盛りですね。世の中は連休ですが、祇園祭の人混みを見ていると死にそうになります。
来週にはまだ「トトロ」がある・・・・だと・・・?
いやもうここまで書いたら書かないわけにも。
この3週目の「ハウルの動く城」。なにはともあれ「ただしイケメンに限る」という言葉がピッタリとしかいいようがありませんな(笑)。
さて、「ハウル」ですがその特徴は「説明省略」に尽きます。細かいことは一切無視して物語が進んでいきます。観る人のボキャブラリーや許容力に一切を預けている、とのことです。何度も観る人はかなり何度も観るようですし、原作と合わせて読むとかなり面白いらしいです。
省略された事柄のひとつとしてよく知られているのは「ソフィーは無意識だが魔法が使える」ということ。その一例として、生命を吹き込む魔法が使えます。案山子のカブ、ハウル、カルシファーーetc・・・詳しいことは省略します(笑)。
また、彼女は荒地の魔女に呪いをかけられて老婆になってしまいますが、あくまでも呪いはきっかけに過ぎず、いうなれば自己暗示のようなものです。その証拠に、彼女の気持ちや言動によって劇中でもその容姿がビミョウに変化していることにお気づきかと思います。ソフィー自身、強いコンプレックスや抑圧をかかえており、自分自身に否定的な暗示(彼女の言動)をかけて本来の良さを損なっており、それが魔女の呪いによっていっそう顕現したというわけです。
魔法が使えるということをあえて伏せたのは、魔法使いの女の子の物語ではなく、誰にでも大なり小なり抱えている問題として観ることができるようにしたかったのではないかと。反面、物事を変えるには自分の意志次第でもあるということでしょう。
意志の表明としての言葉とその力も無視することができない要素です。言葉は意志であり、力である、と監督も述べています。(このあたりは「千と千尋の・・・」ではより分かりやすく表現されています)
そのような力を持つ女性だからこそ、浮気性のハウルが惹かれたのも無理からぬことです。ハウルには(契約により)心臓=心がありません。その失ったものをもたらしてくれるかもしれないからです。だからこそ荒地の魔女が呪いをかけて老婆にしたのでしょうが。
王に召集をかけられているように、ハウルは強力な戦争兵器としての側面も持っていますが、それはまた次の機会にでも。
荒地の魔女がマツコ・○ラックスに見えて仕方がありません(笑)。