暦の上では処暑を過ぎ、夏もすっかり翳ってしまいました。夏というのは一見、陽気で明るく活動的なイメージが大きい季節ですが、反面、事故や事件が多い時期でもあります。物事の陰陽というものを考えさせられます。
さて、最近テレビなどで「柔道」という言葉を耳にします。何故だろうと思っていると「世界柔道」という世界的な大会がオランダ・アムステルダムで開催されているんですね。柔道というと「柔よく剛を制す」という言葉が思いつきますが、実際にオリンピック等での柔道の試合を観てみると・・・・・・素人考えながら「力で力を制す?」的な印象を受けてしまいます。
しかし、少し前の日本には、こういう人物もいたんです。
「柔道の神様と呼ばれた男」
三船久蔵 (1883~1965) 講道館柔道十段
身長159cm、体重55kg。小柄な体格ながら「隅落し」こと通称「空気投げ」などの新技をあみ出し、1945年(昭和20年)最高位の十段を授けられ「名人」の称を受ける。「理論の嘉納、実践の三船」といわれ、柔道創始者である嘉納治五郎の理論を実践することに力をいれたことから「柔道の神様」とあがめられた。
なんといいますか、見ていて気持ちがよいくらい動きがリズムカルで軽やかですよね。
「空気投げ」も見事なのですが、それよりもこれだけ軽くて小さいのに全然相手に投げられないことがすごく不思議です。エイッと持ち上げて落とせば済むんじゃないか?とも思いますが、三船十段は別に慌てるでも力むでもなく・・・。
どれだけ転がっても重心がぶれない「珠の極意」と表現されていることから、やはり身体の重心であるとか軸であるとか、そういった事柄が重要なのだな、と。
そういう意味ではダンスでも同様かと思います。
恥ずかしながら、私も未だに重心や軸足移動がスムーズにできなくて、グラつくor振りが遅れるor動けないということが多々あります(汗)。
リズムに合わせて転がる珠のように澱みなくブレなく、軽やかに踊れるようになりたいですね。
ちなみに現状では、弾めばどこに飛んでいくか分からないラグビーボールでございます・・・。
本日は休みだったので、昼過ぎから急いで神社参拝に行ってきました。京都の上賀茂神社・大田神社・下鴨神社の三社です。何度も行ってますし、今日はごくプライベートな参拝・・・というよりも時計を気にしながらの駆け足だったので写真を撮る余裕もまったく無く(笑)。ちなみに大田神社は舞踊・芸能の神様です。またご紹介することもあるでしょう。
夜は久々にHIPHOP(BON’S CLASS)に出撃してきました。
身体が動くか・・・・と不安でした。
せめて火曜のToshimi先生のBALLET(初級)で
じっくり慣らしたいところですが時間的に行けないので仕方ありません。
できるできないは別として、思ったより身体は動いてくれました。夜中、寝る前にゴソゴソとバランス調整運動や柔軟をしていたおかげで低下はひどくないようです。
が、アレがものすごく不足しておりました。体力?練習量?集中力?違います。
「根気」です。上手く表現はできませんが、これはかなりヤバイなー・・・・・とただただ実感。
今宵は「MIDNIGHT HHSC-ex」ですね。
Toshimi先生の「THRILLER」・・・そりゃもう、観たくないわけがない!
無念ながら夜更かしが堪える身体なので欠席とあいなります・・・。
月曜日あたりに復帰の予定ですが、鈍った身体が動くかどうか。
こないだのHHSCの動画も見ましたが・・・明らかに浮いて・・・(笑)。
あと、なんとすばらしい動きのカタさ(苦笑)。
さて、先日は気分転換心機一転も兼ねて、伏見稲荷大社へ参詣してきました。伏見稲荷大社は全国に3万余もある稲荷社の総元締です。稲荷と言うと白狐の神様のように思われることが多いですが、白狐は「神使」、つまり「使わしめ」です。稲荷大神は「宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)」と一般的には言われています。もっとも、白狐の御霊を祀る「白狐社」というのも境内にありました。
携帯で適当に撮影しているだけなので画像はあまり良くないです。

伏見稲荷に行く気になったのは下調べの中で、どこかのブログで目にした一文です。
「・・・・伏見稲荷は、日本の近代から現代に至る過程でほとんどの宗教から洗い落とされてしまった、信仰の核となるドロドロしてギラギラしたところが垣間見える数少ない神社・・・・」
ほう、面白い。ならば見せてもらおうか、ということで出かけてきました。

結論から云いますと、確固たる「稲荷信仰」に基づいた現世利益を願う、階段と鳥居と鳥居と鳥居と白狐と白狐とお塚であふれるワンダーゾーンでした。ただし、逆に云いますと、大小の差こそあれほとんど同じ調子で鳥居とお塚が続くだけなので、なにか目的が無かったりあんまり興味が無ければ、言い方は悪いですが“飽きてしまう”可能性が高いです。
伏見稲荷の一般コースである「お山巡り」。本殿から奥社に至り、そこから(通常は)反時計周りに頂上である一ノ峯(上之社)を経て再び本殿に戻ります。階段を登って登って鳥居をくぐってくぐって、おおよそ2時間のコースです。もっとも、横道も多くて冒険心(笑)にかられると時間がいくらあっても足りません。面白いことに、頂上を境に、陰と陽のように雰囲気がガラリと変わってしまいます。また、各所に宿場風な御茶屋がたくさんあるので休憩や食事、水分補給には事欠きません。日本人だけでなく外国人観光客がとても多かったです。どういうガイドブックを読んでここに来たのかはわかりませんが、日本人でさえ奇異に感じるこの伏見の風景を彼らはどう感じているのでしょうね。

伏見稲荷は御山一体が神域で、その点では先にも書いた「大神神社」と同じです。ただ、雰囲気はまったく違います。失礼な喩えかもしれませんが、大神神社・三輪山が「国立自然公園」としたら、伏見稲荷は「テーマパーク」といった感じでしょうか。
ご存知のように千本稲荷と白狐が有名です。千本鳥居と言いますが、大小合わせるとゼロがひとつ多いんじゃないの?と云いたくなるほどの圧倒的な数があります。ほとんどが奉納されたもので、意外にも平成のものが多いです。参拝路にかかるような大きなものだと一基300~500万はザラだそうです。ちなみに、「電通」が一番大きかったような記憶が・・・。

それよりも驚くのが「お塚」の数。「お塚」とは、稲荷大神様に別名をつけて信仰する人々が石にその御名前を刻んでお山に奉納したもの、です。

鈍った身体に鞭打つべく、水分補給はしつつもアンパン1つで山を巡ること2時間強。スタスタと階段を上って下ってお参りに次ぐお参り。ちょうど良い運動でした(笑)。
山にはけっこうな数のお社(&お茶屋)がありますが、ひとつ印象に残っているお社をあげるとすれば「眼力社」でしょうか。向いの御茶屋で、とてもシンプルでつつましさを感じるストラップを購入。おばさんが「守ったってくださいや」と火打石で清めてから渡してくれました。自分に合うお社を探すのも良いと思います。ちなみに、もっとも人気のあるのが「熊鷹社」。勝ち運の神様として有名だそうです。
観光よし御参りよしお土産探しもよしと、とても面白いところです。オリジナルグッズ的なものもたくさんあります。参道では昔から「雀焼」「鶉焼」が有名ですし、神社の狐の絵馬はかわいらしいですね。

ただ、伏見稲荷は「願」も叶うが反面、「魔」も強いそうです・・・・。ギャンブルは当たるようになるけどさらに溺れるようになる、商売は上手くいくけど驕り高ぶるようになる、すぐに出会いがあるけれどすぐに別れるようになるetc・・・。ここでいう「魔」とは結局、感謝と謙虚を忘れないための戒めの言葉かもしれませんね。
毎年の夏恒例の「火垂るの墓」、御覧になった方も多いかと。
内容はいまさら言うまでもありませんね。
朝に「さようなら対馬丸」。昼に「はだしのゲン」。夜にこれを見ればもう何とも言えないやるせない気分になることは請け合いです。
ちなみに「ジョニーは戦場へ行った」という映画がありまして、感想を聞くとこれは相当落ち込んでしまうそうです。私はまだ観たことがありません・・・というよりも、観れないですね。
今回は某掲示板の実況書き込みを見ながらテレビを眺めてました。
「(開始五分で)もう涙が出てきた」なんて書き込みもあり、母親が死んでしまうシーンではすさまじい量の書き込みがありましたね。あのシーンはいつ見てもやるせないものがあります。軍医は見慣れた風に呑気ですが、母親は怪我なんてレベルではなくて瀕死です。呆然とする主人公。生々しい瀕死の呼吸の表現は随一だと思います。
で、西宮の親戚に疎開することになるのですが、そこでは「西宮のクソババァ」という書き込みであふれました(笑)。「小さい子供相手に大人気ない!」等々、一般的にはそのおばさんを批判する意見が多いのですが、一方ではおばさんの主張は正論であるとか、あまりにも主人公がニートすぎるであるとか、ゲンに比べると圧倒的に情弱だとか、そういう擁護の意見もあります。よく「オトナになったら見方が変わった」と言われてますね。いろいろあってその親戚の家を出て横穴に住み、そして2人とも力尽きて死んでいくのですが・・・・。
この映画の監督である高畑勲の言葉によりますと、
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清太と節子は”家庭生活”には成功するけれど、”社会生活”に失敗するんですね。
いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。社会生活ぬきの家庭を築きたかった。
まわりの大人たちは冷たかったかもしれない。しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます。
そして無心に”純粋の家庭”を築こうとする。
そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。
心情的にはべつに現代の青少年たちとだけ類似があるのじゃないと思うんです。マイホームとか核家族とか、
個室やオートバイを子どもに与えるとか、おとなもみんな清太になりたがり、自分の子どもが清太的になることを理解し認めているんじゃないんですか。
社会生活はわずらわしいことばかり、出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、自分だけの世界に閉じこもりたい、それが現代です。それがある程度可能なんですね。
ウォークマン、ステレオ、パソコン、みんなそれを象徴しているような気がします。清太の心情は痛いほどわかるはずだと思います。
(抜粋 一部省略)
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可哀相であるとか反戦であるとか、いろいろ聞こえの良い風に言われてますが、「社会生活」という現代に生きる我々にも身近な問題と視点でこの映画を観てみると、また違って見えてくるのではないかと。
いつも思うのですが、この映画に出てくる関西弁は基本的にキツイ感じがしませんか?
Mei先生がブログでも書かれていますが、奈良に大神神社(おおみわじんじゃ)というところがあります。
そこの御神体は三輪山そのものなのです。神道の原初の形態を残す、日本でも有数の古い神社です。
で、なんとその御神体である三輪山に登ることができるのです。
それを「登拝」といいます。江戸期までは政令により厳しく管理されていましたが、
明治以降、入山が一般にも許可されるようになりました。
私も5月に大神神社を訪れた折に登拝しています。
原則として撮影・飲食・喫煙一切禁止。動植物鉱物の持ち帰り禁止。3時間以内の
下山等などの決まりごとがあります。境内にある摂社・狭井神社の社務所で
入山手続きをし、参拝証の白いたすきを受け取って入山が許されます。
社務所のすぐ向かいにある登拝口から登るのですが、沢道、
尾根道を登っていきます。ゆっくり登って往復約2時間くらいでしょうか。
舗装はされていないのですが、きちんと道になっています。登拝道のそこかしこに
注連縄がされた御神木、磐座(いわくら)があります。手を合わしている人を
よく見かけました。山頂には「高宮社(こうのみやしゃ)」があり、日向御子神が
祀られています。その少し奥に「奥津磐座(おきついわくら)」があります。
古代祭事遺跡ですね。
登拝して感じたのは、清々しさというか爽やかさというか、そんな気持ちですね。
観光の人もいてます。信仰から登っておられる人もいてます。でも、そんなことは
関係なく老若男女問わず行き交う人に自然に挨拶しますし、道を譲ったり譲られたり、
御神域であるという自覚もあるからかもしれませんが、ただの山登りでは味わえない
謙虚さを感じつつ気持ちよく登拝できました。
大神神社ならびに三輪山では蛇が神使のひとつということで、卵やら酒があちこちで
供えられています。蛇が見れた人はラッキーかもしれません(笑)。
ちなみに、境内にある「活日神社(いくひじんじゃ)」はお酒、杜氏の神様。
同じく「厳島神社」と「成願成就稲荷」が諸芸能だったかと。
イギリスの科学者がペットを飼っている2000人の人にアンケートを採って、
ペットの理想の特徴を聞いたそうです。
その結果、耳がウサギで顔がネコ、体はゴールデンレトリバーで、尾っぽは馬
と言う結果になり、それをコンピュータ上で合体させたらこうなったわけです。
名前はマックス、毎日散歩に行くのが大好きで1日に平均で9時間27分の睡眠を取るそうです。
ソース
http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/news/2584297/Boffins-unveil-perfect-pet.html

ついでに他の謎生物。


合成技術がすごいですねぇ。
さすがに身体の鈍りを感じます。
日々の鍛錬を怠っているわけでは・・・・ありません、きっと(笑)。
現状では筋トレよりはむしろ、もっと力みをなくし、もっとしなやかさや連動性を獲得したいですね。
怒る蛙に怒るカエル
後ろにいる小さい蛙に注目です。
この道路標識、見た事ありますか?
「その他の危険につき注意」です。警戒標識の一種ですね。
警戒標識というのは道路上で警戒事項や危険などを知らせ、注意深い運転を喚起することが目的です。ほとんどは警戒標識の下に補助標識で具体的な注意事項が表示されているケースが多いと思います。
しかし、たまに「!」だけの場合がありますね。
その場合、何に注意しないといけないかというと、「説明のつかない何かに注意」ということになっているそうで、結果的にいわゆる心霊スポットなどの近所だったりする可能性が高いそうです。原因のよくわからない事故が多発したからであるとか、人に見えない影響を及ぼすような地学的に歪みがある箇所であるからとか、道路になる前に何かがあった場所であるからだとか、いろいろ言われている都市伝説のひとつですね。
こういう都市伝説はよく聞くと思います。
タクシーがお客を乗せて走っていたら何時の間にやらお客が消えてシートだけが濡れていた「乗り逃げ幽霊」などは有名でしょう。
葬儀などで火葬場のへの往復に使われるバス、あるいはマイクロバスなのですが、そうしたバスを運転していると誰も乗っていない筈の車内に人の気配がすることがあるそうで、特に火葬場から帰ってくると気配が消えない事が珍しくないという運転手もいるようです。今時の都会ではわからないですが、地方であれば今でもそういうことが珍しくないようです。
また、そうした用途に専用で使われているバスは寿命が短くなる傾向があるそうで、お札はもちろん、使用後の塩での清めなど、「特殊なメンテナンス」を怠るとトラブルが多いらしいです。
クルマのつながりということで、もうひとつ。
これからの季節、イベントとして肝試しなども増えると思います。
よくあるパターンとして、夜に皆で連れ立ってクルマを飛ばして
肝試しに行く事例ですね。真夜中の山中だったり廃墟だったり、
何かしらの心霊スポットに行くわけです。
現場で何かがあればまたそれは別の話になるのですが、
道路を走っていたらいつの間にか行き止まりになり、横をよく見たら一面の墓場だったとか、
山から無数の白い手が伸びてきただとか。
もっともほとんどの場合は何もないでしょう。
しかし、心霊スポットでの肝試しを終えて、クルマを降りて皆で家に戻ろうとした時、
ふと何かの気配を感じて振り向いたら車内にぎっしりと何かが座って居たのを見てしまった、
なんて話もあるそうです。